TOP > 会社概要 > 社長ってどんな人

社長ってどんな人?

パスカルの社長はどんな人なんだろう?

ごあいさつ

パスカルのホームページをご覧を頂き誠にありがとうございます。
有限会社パスカルの代表取締役を務めます福嶋 勝浩(ふくしま まさひろ)と申します。
私がコンピュータに興味を持ったきっかけは、スティーブ・ジョブス氏の創業したアップルコンピュータ社のMacintosh(1984年)を初めて見た時でした。とても感動したことを今でも覚えています。その後は、何とか自分でもプログラムを作りたいとか、コンピュータに関する仕事がしたいという強い思いもあり、その後、まだパソコンが現在のように普及していない時代にパソコンをもっと身近な存在にしたい。便利な使い方を色々な人に知ってほしいという目的でPCスクールをはじめました。


スリランカ ヒッカドゥワで過ごした海の小屋 家族で住んでいます。夜はさざ波を聞きながら寝ます。2004年スマトラ島沖地震の津波で今はありません。

職務経歴

 ◎1986年4月~1996年8月 株式会社テック コンサルタント事業
 ◎1996年12月~ 有限会社パスカル 設立
 ◎2012年12月~ 株式会社ココア 設立

良くも悪くも働くことが人生そのものだったサラリーマン時代
働き方・休み方の改革の原点はこの実体験にあり。

卒業後はフリーター。親不孝な門出。

私は若いころ定職に就かず、今でいうフリーターで波乗りの放浪生活をしました。どこにも就職しなかった訳ではなく、内定していた建設会社には行きませんでした。
親不孝な人生です。父親は地元でも有名な建設会社に入社できたことに、顔をしわくちゃにして喜んでくれました。しかし、その会社には就職しませんでした。
就職しなかった明確な理由は思い当たらないのですが、就職から逃げていたんだと思います。学生時代の気楽な生活から抜けきれなかったと思います。当時はサーフィンに夢中でした。プロを目指す訳でもなく、ただ、サーフィンを中心にして適当に働くという生活が気に入っていました。
片岡義男の「限りなき夏」の小説のような人生に憧れていたのかも知れません。鎌倉、千葉、伊豆の各地を転々と波のある町に移り住むという生活を繰り返していました。

友人の言葉がきっかけで渡豪

海外への憧れは常にありました。鎌倉に住む友人がオーストラリアでの生活を楽しそうに話すので、行ってみたくなりました。日本で貯金をして足りない分は友人からの借金。インドネシア・バリ島、オーストラリア(シドニー、ブリスベン)に拠点を移して生活。とにかく波乗り中心の生活です。卒業後、約2年間のフラフラと放浪生活。よく両親は文句を言わなかったなぁ、と思います。そんな夢のような生活にも終止符を打つ時が来ました。何とも自由に生きていました。相当色々な人に迷惑とお世話になりながら、自分自身の道を考えました。

コンピュータとの出会い

コンピュータとの出会いは、海外でよく見かけたでスティーブ・ジョブス氏のMacintosh。このMacintoshを使いこなしたい!という思いがいつも心の片隅にありました。その思いを心に抱きながら就職活動。何とか縁があってコンサルタント会社に就職させてもらいました。当時は奇抜だった茶髪姿の私を受入れてくれた社長に今でも感謝しています。そして、何とその会社のデスクにはMacintoshが置いてあり、それを見た瞬間「オッ!」って思いました。

コンサルタント会社に就職 
初日の仕事は段ボールをスーパーに貰いに行くこと

そのコンサルタント会社は、今でいうブラック企業かも知れません(笑)。
失礼な言い方になりますが。それはなぜか。。出勤初日には床で寝袋で寝ている人、机をベッド代わりに寝ている人たちが、あちらこちらに事務所中に男女関係なくいました。中でも驚いたのは段ボールでベッドをつくる人たち。それがとても温かそう。先輩社員から言われます「そこのスーパーで段ボールを貰って来て」、私の初日の仕事は近所のスーパーで段ボールを貰って来ること。スーパーで頂いた段ボールに「福嶋用」とマジックで書いて事務所の片隅に置いておきます。徹夜作業の日は事務所に寝泊まりします。これで夜は床で寝ても段ボールを敷いて寝られるので安心。もっと沢山貰ってくれば壁も作れるので更に温かいです。先輩社員は机の上で寝ることが出来ますが、下っ端の社員は床に段ボールを敷いて寝ます。寝れると言っても明け方まで働いていますから、1時間か2時間くらいですけどね。

仕事は知らないことの連続

自分が配属された部署は主に都市計画、交通計画、環境アセスメント、高速道路の設計を行うところでした。とにかく仕事をやっても、やっても終わらないという印象でした。
3日に1日だけ家に帰ることができるような職場でした。土曜日も仕事でしたし、日曜日は調査やデータ入力など、実は余り休んでないですね。その当時は何とも思いませんでした。
どうしても波乗りに行きたい時は土曜日の夜まで仕事して、そのまま寝ずに海に行き、明け方に波乗りをして、昼くらいまで海に居たら、その帰りにまた会社に寄って仕事を片づけるというような生活を送っていました。今の世の中では絶対にあり得ませんね(笑)。

自分でやるっきゃない

私の仕事は主に第二東名高速道路、圏央道の設計、騒音・振動予測、京葉道路騒音壁の設計に従事しました。当時からコンピュータがなければ仕事に成らず、コンピュータを覚えることは必須でした。先輩は丁寧に教えてくれる、余裕はありません。だから自分でやるしかなく、今のように分かりやすい参考書もない時代ですから、マニュアルも英語か分厚い百科事典のような説明書を読んで操作方法を覚えました。でも、決まり切った操作は自分にも覚えられるので、何とかの一つ覚えで一生懸命、操作をして覚えました。
時々、来社する外部からの「学者」とか「ベートヴェン」とか、髪型を見て、そうあだ名されたコンピュータエンジニアの人たちが会社にシステムの納品に来るのを楽しみにしていました。それはなぜか?その人たちが納品を終えると、ふらふらと事務所で遊んでから帰るので、その人たちをつかまえてコンピュータを教えてくれと頼むと喜んで教えてくれたからです。

クライアントは国。期日厳守

期日はとても厳しかったので、報告書の提出日前日は全員が徹夜です。徹夜明けに先輩方は当時の建設省とかに納品に行くので、みんなを見送ってから、下っ端の特権はその後、事務所で寝れることでした。爆睡して、うとうとしていると時計の針が昼過ぎ位になると、先輩方が建設省から戻ってきます。報告書は付箋だらけに赤字の添削だらけ。。
要するに修正箇所が沢山あり、再提出です。もちろん、一回で審査が通る訳はないので致し方がないのですが、それでも再提出は年度が切り替わってからでよく、1カ月くらい先で余裕があるので安心です。直すところも決まっているので、もう何も怖いことはありません。もう終わったも当然なのです。彼らの凄いところは家に帰って寝るのではなく、そのまま会社の皆で飲みに行くのです。昼間っから。パワフルという他ない人たちでした。なんとも昭和ぽい感じですね。

寝ずに働き、よく遊ぶ

学もなく、無学の私は専門の教育も受けていないので独学でデータの分析や解析、プログラミング、コンピュータ技術について習得しました。コンピュータが出来なければ、仕事ができないのですから、致し方ありません。何年もやっているとある程度のことは覚えることができますが、肝心のプログラミングとかは全く分かりません。見よう見真似でコーディングの手伝いもしましたが、そこに書いてある英文の意味はさっぱり分かりません。今でいうオペレータみたいな仕事でしょうか。それでもコンピュータを触れていることに喜びを感じていました。自己満足の域を出ていませんでしたが、楽しかったです。

パソコン教室を開設

私にとっての人生の期はWindows95の普及です。それまではMS-DOSという、英文のコマンドを沢山入力して、コンピュータを動かすという方法が主流でした。コマンドの入力はメモ書きやマニュアル化すればそれほど難しいことはないのですが、今のような直観力でコンピュータを動かすことはできません。実はMachintoshは当時から今のようなGUI環境でしたので、直観力でコンピュータを操作できるのですが、当時から業務用の仕事はWindows系のシステムが多く、結局、覚えたのはWindows系のMS-DOSのものばかりでした。
Windows95は今のようなコンピュータに大変、近いのですが、それでも素人の人が直ぐに扱えるものではありませんでした。だから、自分が苦労して覚えたことを大勢の人には「優しく、楽しく、簡単に」操作ができるようになってもらいたいという気持ちで、始めたのがパソコン教室でした。はじめは会社でパソコン教室を開設したのですが、会社の事情で継続が厳しくなったので、お世話になった会社を退職して、直ぐに有限会社パスカルを設立しました。1996年12月のことです。パソコン・スクールをそのまま引き継ぎました。入社して10年間という月日が経過していました。

それでもサラリーマン時代は天国

私はここで働いた自慢をしたいのでもなく、当時、働くってこんなものかなぁと思っていました。でも、やはり今、思っても休暇は必要でしたし、もっと自分の余暇があったらもっと豊かな人生を送っていたかなと思います。日本全体がこんな感じで働いていたので、特段、特別だとは思っていませんが、やはりこんな働き方は時代遅れですよね。
時々、今でもシステム納品の時など徹夜をすることはありますが、当時のことを思い出すこともあります。しかし、実は独立してからの方が更に過酷な労働環境でしたので、サラリーマン時代は本当は良い思い出なのです。なぜか?サラリーマンは働いたら働いた分だけ、給料が保証されていましたからね。それも当然だと思っていました。

独立後はまた別の機会でお話します。

◎前職で主体的に携わった業務について掲載

・圏央道 相模原~西湘区間 環境影響調査アセスメント事業
・圏央道 騒音・振動予測 騒音シュミレーション
・第二東名高速道路 線形基礎設計 主にインターチェンジ基礎設計
・第二東名高速道路 騒音・振動シュミレーション
・大規模林道整備事業 全国
・本田サーキット(ツインリンクもてぎ) 環境影響調査アセスメント事業

◎退職後 1996年
・有限会社パスカル 設立 代表取締役社長
 パスカル・パソコン・スクール設立。東京都江戸川区葛西駅前
 主にITコンサルタント業務 システム設計やオフィス・アテンダント、システムデザイナーなどのビジネスモデルの構築に携わる。
・株式会社ココア 設立 代表取締役社長
 インテリアデザイン、情報デザイン、WEBサイトデザインの提案、企画、運営、構築に携わる。

福嶋勝浩 プロフィール

主にコンピュータシステムに関するシステム構築、ソフトウェア、ウェブサイト・デザインを手掛けそのビジネスモデルまでを構築する。
近年は家具などのインテリアデザイン、人々の暮らしそのものをデザインするコミュニケーション・デザインを提案し、更には歴史的な建造物を持続的に維持する為のビジネスモデルの研究を行っている。従来型のデザイナーとは違ったカタチのビジネス・デザイン活動を行う。2012年には多摩美術大学 産学共同事業にてグッドデザイン賞 「クールシェア」 を受賞。

Masahiro Fukushima A brief summary of a personal history

Masahiro Fukushima is a professional designer to create system architecture of computer,software, web site design and business model. We design interior design, also living.
And I propose a Communication Design. We are conducting research on business models in order to maintain the sustainable building with the history more. Business and design activities of the form different from the conventional designer. Awarded the GOOD Design Award in Communication Design department in 2012.

◎主な民間企業の業務実績(敬称略、順不同)

だいこう証券ビジネス、野村證券、野村総合研究所、QES、野村資本市場研究所、野村ファーム、NRIデータiテック、日本経済新聞社、博報堂デザイン、電通、電通テック、東日本旅客鉄道、ポルシェ・ジャパン、DISテクノサービス、ダイワボウ情報システム、国際航業、パシフィックコンサルタンツ、片平エンジニアリング、日本HPなど。

◎主な官公庁の業務実績(順不同)

 国土交通省、環境省、国税庁、東京国税局、税務大学校、茨城県庁


◎主な受賞歴

・2012 グッド・デザイン賞 COOL SHARE(クール・シェア)受賞
・2011 Eco Japan Cup グランプリ受賞 カルチャー部門エココミュニケーション

・2010 LRTデザインコンテスト 優秀賞 受賞


◎2016年は働き方・休み方の改革をカタチにするプロジェクトを発足。社員を主体に働き方や休み方をカタチづくる。
長時間労働の問題や休み方の問題について今までの経験を活かしてデザイン。
※2017年3月13日(月)14時から私たちの取組みが評価され、テレビ朝日(関東ローカル)「東京サイト」という番組で紹介されます。

◎シンボルマークの制作
◎社内周知用のポスター制作

各SNSのアカウントはつぎのとおりです。お時間のある時にご覧頂けますと幸いです。

BlogFacebookInstagramTwitterCoCoAサイタLinkedin

パスカルの社員自慢

我社の社員は輝いています!
パスカルの社員はとにかく一番のものが必ずあります!
例えば・・・
・妖怪漫画の知識
・演劇写真を撮らせたら
・文学について語らせたら
・美術に関する知識なら
などなど・・・。

■とにかく我社ほど、少人数にも関わらず個性豊かで、
他の誰にも負けないくらいの何かを持った社員が集まった会社はいないと思っています。
それぞれ個性豊かな武器で武装した会社は強いと思っています。
どこにもいない世界でただ一人の逸材の社員が揃っている会社です。
さしづめ私は「親ばか」ならぬ「社長ばか」なのかも知れませんが・・・。

■スキルアップについて
常によりよい方法はないかと考え、アイデアを発言していく。
そんな活躍を期待しています。
そして技術的なスキルだけではなく、お客様の業務知識を身につけたり、
吸収できることはすべて学びつくしてほしいと考えています。

■自分の将来について
また、自分が参加したいプロジェクトや事業があれば、どんどん要望を出してほしい。
その要望に応えられるだけの土壌はあると思っています。
あとは、いつも笑顔でいてくれたら嬉しいです。
私も現場で開発に携わっているので、楽しく和気あいあいと一緒に働けることを願っています。